会社紹介 |
|
屋号 | アイキューカンパニ |
代表者 | 生山 亮 |
設立 | 平成9年5月1日 |
業務内容 |
制御系システムのシステム設計からハードウェア設計、ソフトウェア設計 ワンチップマイコンのソフトウェア設計(言語・メーカーを問わず) PC上のアプリケーションソフトウェアの設計 などなど |
今後の展開(希望) |
|
設備 | パソコン 安定化電源 各種インサーキットエミュレータ その他 |
代表者紹介 |
|
なまえ | いくやま りょう |
名前 | 生山 亮 |
生年月日 | 昭和40年4月27日 |
身長 | 172cm |
体重 | |
血液型 | O型 Rh+ |
趣味 |
ボルダリング カヤック スキー サッカー(最近はもっぱら見るだけ) キャンプ 登山(最近行っていないなあ) ハードいじり 読書(大好きな作家デズモンド・バグリイが亡くなってからはジャンル問わず) 音楽(ハードロック、プログレ、ラップ、パンク、ドラムンベース、アカペラなどなど) |
特技 |
スキー(モーグル系です。競技スキーも得意です。) 商品企画(たぶん) |
家族構成 | 妻+子供2人+犬 |
業務経歴 |
独立前 小形プリンタ付き電卓のソフト・ハード設計 FA用の各種制御機器のソフトウェア設計 社内部品管理システムのシステム設計及びコーティング(UNIX) 睡眠中の呼吸波形を記録する「睡眠時無呼吸モニタ」のシステム設計・ ハード設計・ファーム設計、解析用PCのドライバ作成 非侵襲で動脈血液中の酸素飽和度を計る「動脈血中酸素飽和度」のシステム設計・ ハード設計・ファーム設計、解析用PCソフトウェアの設計 睡眠時無呼吸症候群のPC解析ソフトウェアのシステム設計及びドライバ部分の設計 各種学会発表用のPC解析ソフトウェアの設計 レーザープリンタの操作パネルのハード設計・ファーム設計 独立後 在宅酸素療法を行っている患者向けの「血中酸素飽和度計」及び「身体活動度計」 のシステム設計・ハード設計・ファームウェア設計 パチンコ台の前日の大当たり回数が表示される押しボタン装置のハード設計及び ファーム設計 超小型ワイヤレス12誘導心電計のソフト設計 モジュール型の心電計のシステム設計・ハード設計・ソフト設計 バスの運行時の排出Nox、Co2計測システムのシステム設計、ハード&ファーム設計 ベクトル心電計アダプタの開発全般 一人暮らしでなんらかの疾患をもつ患者の為の在宅緊急医療装置のハード設計 後付けのCRT省電力装置のハード設計 肺機能検査装置のファームウェア設計 マイコン内蔵のニッカド電池の充電器のシステム、ハード&ファームの設計 緊急通報システムのシステム設計 ECG(心電計)モジュールのシステム、ハード&ファームの設計 特定省電力RFモジュールのLOGIC部、ハード設計 欠陥検査用画像処理装置のソフトウェア設計 半田付けリフロー装置のソフトウェア設計 マッサージチェアのファームウェア設計 コイン駐車場のファームウェア設計 PHS次世代基地局のファームウェア、OSドライバ部分の設計 uItron4.0のポーティング TCP/IPドライバ作成 ICE用デバッガの各種機能のソフトウェア設計 その他 |
略歴 |
昭和40年4月27日 神奈川県に生まれる。体重2400g(?)の未熟児。
父親が大の三国志ファンで孔明様の名前を頂きました。 小学校の3年生の時にサッカーをはじめる。以来大のサッカー好き。 中学校のサッカー部で長身(中2で170cmでした)と 体の柔らかさよりコーチの勧めでゴールキーパーに転向。 高校ではワンダーフォーゲル部へ入部。元々父の影響でアウトドアが大好きだったので。 高校生時代はろくに学校にも行かない(登校拒否と言うわけじゃない。)。授業はろくに受けない。 バイトとスキーと登山に明け暮れていました。この頃やっていたバイトは花屋。 花束とか作っていました。ケーキ屋さんっていうのもあったっけ。 高校卒業して一浪して東京電気大学電子工学科に入学。他の大学は全部落ちる。 大学に行ってもろくに授業に出てなかった。 昼間はゲーセンかバイトか秋葉。夜はバイトかマージャン。 たまに仲間内でサッカー大会。 やったバイトは数知れず。主な物を挙げてみると、印刷屋さん(大日本印刷)、土方、発掘調査員、 交通量調査員、トラックの回送、ゲームプログラミング、レーザー屋さん(結婚式とかでレーザーで 演出するときの奴のプログラミング)、バラック組み立て、測量補助(これは結構長くて大抵の事はわかります。)、 ビル清掃、家庭教師、バッタ屋の仕入れなどなど。 年間のうち3カ月強は妙高高原赤倉スキー場に行ってた。 赤倉の「銀明荘」さんには本当にお世話になりました。 あまりのスキー漬けの為に大学2年の後期試験を受けるのを忘れて惜しくも単位が足らず留年。 大学2年を2度やることに。 大学の研究室は「生物電子研究室」。担当は「合原一幸助教授」。 この先生は日本のカオスの第一人者であちこちの新聞雑誌等に出てます。 卒論のテーマは「免疫ネットワーク」。 体内の3大ネットワーク「能神経系」「免疫系」「ホルモン分泌系」のひとつである免疫ネットワーク をモデル化しPC上でシュミレーション等を行う。 論文作成は協同研究者のS氏が担当し私はおもにソフト作成。 大学卒業後大手「ミネベア」に入社。 理由はミネベアの東京事務所が神田にあって大学のすぐそば、 学科長(当時は町教授だった。)に薦められてすぐ そのままGパン・Tシャツの姿で会社訪問、 そしたらその場で内定をもらいました(就職難の今の学生達が聞いたら怒られそうです。)。 配属は藤沢にあるメカトロニクス事業部。 ミネベアでやったことは電卓のハード&ソフト、基板設計などなど。 サッカー部を設立し監督兼部長。よく長後のスタジアムで夜間練習を行ってた。 入社した年の6月に結婚。独身寮はたった2カ月居ただけ。 新居は茅ヶ崎市内の2DKのアパート あまりの給料の安さにサイドビジネスとして「ワンチップマイコンのソフト開発」を始める。 仕事は後で勤める事になる「テクナ電子工業(株)」からおもに頂いていました。 ミネベア入社後4年ほど経ってテクナの社長の希望によりテクナ電子工業に1年ごとの契約社員として転職。 勤務地は調布。茅ヶ崎からじゃ通えないので東村山に3DKのアパートを借りることに。 テクナ電子では医療用小形計測機器の開発に従事。「睡眠時無呼吸モニタ」は全く新しい測定器として、 また「血中酸素飽和度計」は世界最小最軽量として当時の業界をにぎわせました。 入社後2年目ごろにテクナが新しく埼玉県に工場を購入。技術陣の 移転も近い!と判断して工場から車で10分程度のところに土地と4LDKの家を購入。 しかし、技術陣はそれから1年以上調布のままで、毎日車で中央高速通勤。 技術陣も平成8年の9月に埼玉に移転。通勤も楽ちん。 ところが平成9年2月ごろに9年度の年棒の契約面で会社と折り合わずそのうちいろいろな不満が爆発して 退社することに。 しかし各種業務の引き継ぎのためにしばらく通い4月30日付けで退社しました。 そしていまさら他の会社に転職する気にもなれず、長野県原村の「(株)電脳工房」の北川さんの 勧めで独立することを決意。 先行き不安のまま平成9年5月1日「アイキューカンパニ」を設立。 新しいことにもどんどんチャレンジして行きますのでどうぞ宜しくお願い致します。 |